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2009.10.26 シンポ
昨日、歴民博の弥生集落シンポに参加してきました。

巷を騒がしている(?)「複合型集落」。
ようやく私の中で整理ができた気が。

話を聞いていると、複合型集落を構成する「基礎集団」とは、居住域、生産域、墓域がセット関係を持ったもの。
居住域が動くと、生産域や墓域も動いていく。それが、河内平野では一定の範囲にまとまって存在している=複合型集落。

一方、それ以外の周辺地域では、複合型集落が1つしかなかったり、基礎集団だけで構成されていたりするそうです。

つまり、私の住んでいるような田舎では、すべてが基礎集団ということに。
基礎集団には、居住域、墓域、生産域がセットになっている。
基礎集団は、いわゆる「単位集団」にあたるものでなく、竪穴建物10棟程度など、一つの生活共同体を示している。


そ、それは、我々が単に「集落」と呼んでいるものでは。。。


ということで、私の中の整理では、「複合型集落」論とは、いわゆる「単位集団論」との差異を議論するものではなく、一般的な「集落」論と対比するべきものである、となりました。
またその目的は、一般的な集落について議論するのではなく、全国規模で、拠点的な地域を比較するためのものということもわかりました。
親族集団論など「解釈」との融合で、議論の広がりを見せていますが、考古学的な事象としての整理は、ここに落ち着くと思いました。

さてシンポジウム。
三者三様のコメントがあって面白かったです。

一人は、あくまで議論のとっかかりとして、ミクロな分析単位を問う方。一人は、原因結果のトートロジー、解釈論のナンセンスさを痛烈に批判した方。一人は、それほどコメントされませんでしたが、「分析」をするうえでの前提議論について、慎重で的確なコメントをされた方。

シンポの方法・目的は、演繹的な話、モデルづくり、大きな話から小さな話へ、というものであった以上、なかなかコメントとかみ合わないこともあったかと思いますが、興味深い話を聞くことができました。

最後に一つ思うこと。ある方のコメントに、社会とは現実的な生の再生産であるのに「人が生きる」具体的な活動についてまったく触れられなかったことを批判したことがありましたが、今回のシンポの開催主旨・経緯からしても難しいことなのは確か。
また、論文とは、すべてを総花的に議論するものではなく、一つの視点から切り込むことと考えている私。用いた視点によって、逆に失われる視点もあるのはしょうがないとも思いましたが、いかがでしょうか。

ほのお
2009.09.15 発表
というわけで、研究会発表終了。


発表の詰め不足ですなぁ。。。

でも方向性から試行錯誤だったので、しょうがないかも。
シンポジウムでの発言で、少しは言いたいことが言えました。
シンポ終了後、一般の方に「今までなにやってるか理解できなかったけど、今回ようやくわかりかけた。新しいことを試そうとしてるんですね」といわれたのは、結構収穫か。

知人とも話しましたが、考古の人々は資料を直接扱うことができる特権から、ミクロを追い求めてしまう傾向にあると思います。それも当然大事なことですが、ミクロをやっていてマクロは明らかにできませんので、マクロ的視野をまず見通してからミクロをした方が、より豊かな分析・研究になると思うのですが。。。。
それと考古資料の氾濫によって、ノイズが増えているのも事実。それはもしかしたら調査が悪いのかもしれないし、もしくは実際に偶然の産物もありえる。こうしたとき、やっぱり数に頼ることができるのは強いと思います。

みなさん、地域内で集成しましょうね!うにゅ
2009.07.13 失敗
あぅ。


9月の研究会に向けて、準備会で発表したのですが。。。

大失敗。


期待されている役回りが、少し私のやりたいことと違うのも原因かも。

私は「集落論」をするなかで、1地域について移動や社会変化などの「解釈」を行いたいとは思わないのです。


考古学は基本的に2つに分かれるのかも。

1つはミクロな分析。発掘調査の延長線上にあるような分析。

もう一つはマクロな分析。データを用いた分析。発掘調査からは一度離れてしまう。


これだけ書くと当たり前なのですが、考古資料の「無作為抽出性」「多数性」「モノ性」を考えたとき、ミクロ分析がマクロ分析に直接コミットするのは難しい(逆もあり)のではないか、とも思います。

一方で、マクロな分析は、考古資料の性質を有効に生かした「普通の人々」の分析を行える、他学問分野にはなかなか見られない方法ですが、机上の空論に見られてしまう危険性があります。

実は私は、後者の方に考古学の独自性&有益性を認めている立場なのかも、という考えだしています。もちろん地に足つけて、ですが。。。

歴史主義と構造主義、プロセスとポストプロセスにも、実は関係してそうなこの考え方。

考古資料は一種の統計資料であるとの立場から、無作為抽出性、多数性を生かした分析を、とのたまう論文ってあるんでしょうか?

ぱんだ

写真は、先月購入した(13年還付金でw)愛車です♪
てなわけで、今日から1週間研修。


去年は来なかったのですが、いろいろと細かいところが変わってました。
残念なのは、新刊雑誌のコピーができなくなってる。。。

目の前に見たいものがあるのに。。。


で、あかねださんともお会いしたいのですが、私、携帯忘れてますw

おやすみ
2009.04.05 新年度
というわけで、異動。。。。。。









私じゃないですが。

2月頃から続いていたバタバタもようやく一段落し、今日はほっと一息。
ゆっくり家で休んでいます。

借金の原稿もすべて完済!
9月の依頼はどうするかですね。。。

私に大役が務まるのかどうか、今考えています。


同成社の『弥生時代の考古学』シリーズを今読んでいます。
これまでの「単位集団」ありきの議論から離れてきて、だいぶ集落論もリベラルになってきましたね。
ちょっと人類学の概念使いすぎとの思いもありますが。。。

私も集落論考えてみるかな〜。。。

あ、ちなみに前回の日記で書いたシンポジウム記録集、やっぱり3月中に売り切れたようです。多謝。

はな